HOME STADIUM

Yoshihi-EXPRESS-blog「HOME STADIUM」は
鉄道を始め浦和レッズなどの話題をYoshihiの観点から綴ります。
485系「つばさ」号【現役時代】

8月3日に6月にラストランを迎えた仙台の485系A1+A2編成が郡山工場に送られ解体となるようです。この週末にはクハ2両の内装取り外し工事が行われているようでお盆休みの前後で重機による解体が見込まれます。

 

ラストランも撮影しましたが今回は現役時代の485系「つばさ」号を仙山線や奥羽線などで撮影した懐かしい写真を集めてみました。

 

DSC_0247.JPG

▲東北本線松川橋梁を渡る上野行き「つばさ」号9連

 

東北新幹線開業後も「つばさ」は「あいづ」「やまばと」と共に乗り換え利便性の確保で上野直通便が残されていました。新幹線が上野まで伸びても「やまばと」は廃止されるが上野直通便はしばらく残されました。

秋田発の9連で上野まで行き、折り返しは「あいづ」で会津若松を往復し「つばさ」で秋田へ戻る運用でした。この9連編成の1本には晩年人気を博した新潟のT18編成に組み込まれ、現在新津に保存されているクハ481⁻1508が連結されており当時から「今日のつばさ1500だよ」なんて会話がありました。

 

 

DSC_0248.JPG

▲仙山線作並駅でED78貨物と交換する485系「つばさ」号

 

 

DSC_0249.JPG

▲夕暮れの仙山線を行く

 

山形新幹線の工事が終盤を迎えると奥羽線は複線区間でも改軌され「つばさ」は仙山線を迂回することになった。板谷峠ではEF71や50系客車の運転は終了したが仙山線で「つばさ」やED78の活躍が続く。約1年、仙山線にも通いました。ちなみに「あけぼの」は陸羽西線を迂回したためDE10重連がHMを付けて走っていた。

 

 

DSC_0250.JPG

▲南新庄付近の信号所で交換する485系

 

ここ数年、国鉄色485系の離合シーンはあまり目に出来なかった。

 

DSC_0251.JPG

▲仙台電車区で休む485系

 

 

DSC_0253.JPG

▲仙山線面白山付近を行く485系「つばさ」号

 

 

DSC_0252.JPG

▲これも仙山線渓谷区間を行く485系

 

当時、撮影を共にしていた仲間らと渓谷を歩き山を登り撮影ポイントを探して見つけた場所だったかと思う。ここでは583系の「津軽」も撮影している。

 

DSC_0254.JPG

▲奥羽線泉田付近を行く485系「つばさ」

 

たまたま手にしたアルバムにこの写真がありました。しかしレジェンド485系はこれだけではありませんので今後、機会があれば485系の雄姿を蘇らせたいと思います。

| Yoshihi | 懐鉄 | 21:36 | comments(0) | trackbacks(0) |
青函のクィーンたち
間もなく北海道新幹線が開業し津軽海峡の交通体系が大きく変わろうとしています。青函トンネルは昭和63年3月13日に開業し「海峡」「北斗星」「日本海」「はまなす」「トワイライトエクスプレス」「はつかり」「カシオペア」「白鳥」「スーパー白鳥」と言ったクィーンたちが活躍している。「はまなす」「カシオペア」「白鳥」「スーパー白鳥」はあと1週間ほどで役目を終えます。

今日。3月13日は青函トンネル(海峡線)の開業日でもありますが、それまで青函輸送を支えた「青函連絡船」が姿を消した日でもあります。ただし昭和63年に開催された「青函博」に関連し夏場に復活運航がありました。

鉄道ブログとしては「はまなす」や「カシオペア」などの特集をするべきですが、この区間を語る上で、そして北海道新幹線の開通動機を考える上で欠く事の出来ない連絡船を取り上げたいと思います。昭和63年(1988年)3月12〜13日に撮影したものを中心に当時を振り返りたいと思います。


DSC_0087.JPG
▲青函連絡船の航跡

昭和63年3月12日、新幹線と特急「はつかり」を乗り継いでお昼の便の連絡船に乗った。船は「八甲田丸」

DSC_0088.JPG
▲連絡船では自家用車の航送も行われていた

DSC_0089.JPG
▲津軽海峡を眺める乗客たち

DSC_0090.JPG
▲船内食堂「海峡」

DSC_0091.JPG
▲石狩丸でしょうか? すれ違う連絡船

DSC_0092.JPG
▲函館山をバックに摩周丸

DSC_0093.JPG
▲貨車専用船「空知丸」

DSC_0094.JPG
▲闇夜に浮かぶJRのエンブレム

DSC_0095.JPG
▲函館〜網走を結んだ「おおとり」

「おおとり」は「北斗」「オホーツク」に統合され廃止となった。連絡船からの乗り継ぎを考えた道内特急網の最後の生き証人でした。

DSC_0096.JPG
▲連絡船に乗り込む乗客

DSC_0097.JPG
▲多くの乗船客で出航する連絡船

DSC_0098.JPG
▲連絡船から降りてくる乗客

函館港(駅)に着いた「摩周丸」から多くの乗船客が降りてきた。私はこの折り返しとなる2便に乗り連絡船最後の旅を迎えた。

DSC_0099.JPG
▲見送りデッキと結ばれたテープで出航

連絡船ではテープでの見送りは禁止されていたが終焉を迎える頃から解禁となりました。また出航のドラも復活していた。

DSC_0100.JPG
▲船はどんどん離れていく

DSC_0101.JPG
▲「80年の航跡を、刻んで」(13日 2便 摩周丸にて)

DSC_0102.JPG
▲乗組員発案の現在地表示盤

DSC_0103.JPG
▲青森港(駅)の石狩丸

DSC_0104.JPG
▲同じく摩周丸

摩周丸を降りて対岸から石狩丸と摩周丸を撮影。摩周丸の場所は現在、八甲田丸が展示されているところ。
13日の早朝、4時30分に到着し盛岡行き「はつかり」と大阪行き「白鳥」に接続していた。この日は津軽海峡線の開業日、青函トンネルが開通する歴史的な日であり、1番列車となる快速「海峡」1号の自由席に乗ろうと多くの方が数日前から並んでいた。そんな状況から1号を見送り3号に乗る予定で列に並んだが増結で10両編成となった事で運よく1号に乗る事になった。

DSC_0105.JPG
▲津軽海峡線開業出発式(13日 海峡1号 ED791牽引)

DSC_0106.JPG
▲連絡船の案内板と快速「海峡」

ダイヤ改正日は貨物輸送の移行ダイヤの関係で13日も連絡船の運航が行われた。

DSC_0107.JPG
▲記念HMを付けた海峡線の貨物列車(中沢)

DSC_0108.JPG
▲下り1番列車「海峡」1号が青函トンネルに入る

DSC_0109.JPG
▲青函トンネルは湿度が高く「霧」に包まれていた

DSC_0110.JPG
▲「海峡」1号の車内

50系51型を改造した5000番台が「海峡」専用車として登場。冷房化、窓の固定、トンネル位置情報版の設置などが行われた。先日乗った「スーパー白鳥」の位置情報版を見て、この「海峡」のものを思い出していました。

DSC_0111.JPG
▲摩周丸と並ぶED791「海峡」

DSC_0112.JPG
▲函館延長された「日本海」1号の初列車

DSC_0113.JPG
▲海峡線が動き出しても連絡船もまだ航行中

DSC_0114.JPG
▲役目を終えた控え車が引き上げて行く

貨車を船に乗せる際、重量のある機関車が桟橋を渡らないよう機関車と貨車の間にこの控え車を数両繋いでい入れ替えていた。
函館に着いて連絡船もあるが行程上、再び「海峡」に乗り青森に戻った。

DSC_0115.JPG
▲「感謝をこめて走ります」

DSC_0116.JPG
▲乗船客手書きの横断幕もありました

DSC_0117.JPG
▲摩周丸最後の営業航行

DSC_0118.JPG
▲記念HMの「はつかり」

DSC_0119.JPG
▲入港の際に船尾を押したタグボート

DSC_0122.JPG
▲青森発最終便となる「八甲田丸」が入港

DSC_0120.JPG
▲青森桟橋の「石狩丸」

DSC_0123.JPG
▲「石狩丸」後影

DSC_0124.JPG
▲最終便「八甲田丸」が出航

17時に出港した「八甲田丸」を見送り「はつかり」→「やまびこ」を乗り継いで大宮に23時に到着。「北斗星」の初列車は見る事は叶わなかったが数日後に撮影している。



北海道新幹線開業が近づくに連れ「青函連絡船」を妙に意識しています。あの洞爺丸台風と言われた海難事故で多くを失った命と引き換えにトンネル構想が持ち上がり、いづれは新幹線をという漠然とした当時の方々の思いが実現するんだなと思うと連絡船の強い思いがメッセージとして発信され重く受け止めています。

今、新幹線が開業する前に、在来線列車の役割を終える前にもう1度「青函連絡船」の事を思い出して欲しいと思います。



▲【動画】ボスCMメーキング

ボスCM、北海道新幹線とコラボ!サブちゃん&石川も
| Yoshihi | 懐鉄 | 18:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
JR九州の485系が引退
このブログではなかなか取り上げないJR九州の話題です。もちろん九州でも鉄道撮影の経験もありますのでまったく興味が無い訳ではありません。

話題というのは485系が引退したというものです。JR九州では783系が導入されて以来、485系を置き換えて来ました。787系も登場し883系?というのもデビューしています。もはや九州新幹線も開通し485系を使う必要は無くなっていました。しかし国鉄色に戻された485系は団体臨時や多客臨時に活躍していました。
様々な斬新な列車を次々と送り込むJR九州だが485系に対する敬意は忘れていませんでした。最後まで大事に使い続けて来ましたが10月18日に運転された臨時列車を持って営業運転を終了しました。

九州の485系は様々な派手な塗装に塗られ撮影意欲が無くなってしまったり自身の興味は東日本や北海道に向いていた事もありあまり撮影はしていませんが数枚ある九州の485系の写真を貼り、JR九州485系への功績と惜別の意を表したいと思います。


DSC_0336.JPG
影が・・・ですが香椎駅で撮影した「にちりん」です


DSC_0334.JPG
松橋付近で撮影したクモハ485の「有明」


DSC_0335.JPG
先頭車不足で181系からの改造車が登場した


DSC_0333.JPG
文字マークで疾走するクハ481ボンネット車
 
| Yoshihi | 懐鉄 | 18:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
昭和58年夏の富山
富山での撮影行の連載をしたが昭和58年(1983年)に「銀河」で関西、「立山」で富山、「越前」で帰るという鉄旅をしたときに富山駅で撮影した画像をご紹介します。



▲富山に着いた「立山」

昭和58年8月、当時中学生でしたが関西の親戚宅に家族で出掛ける際、クルマで行く家族とは別に列車1人旅を選んだ私。
初めての列車乗り継ぎでの複数日の旅でした。行きはEF5812の牽く14系12連の急行「銀河51号」で大阪入りし親戚宅へ。その後、関西で撮影して京都0:05発で583系を使用した急行「立山」に乗り富山へ向かいました。当時は583系が初めて急行に使われたと話題になった列車です。


▲EF7013

EF70牽引の普通列車です。客車は撮影していないようですが旧型客車だったと思います。

DSC_0070.JPG
▲列車は不明だがキハ55系

当時でも希少価値のあったキハ55が入って来ました。何故かベンチに座ったままの撮影ですが恐らく先頭とサイドの車番を入れたかったのだと思います。

DSC_0071.JPG
▲富山地鉄のホーム

富山地方鉄道のホームは国鉄ホームの端にありました。高崎駅の上信電鉄ホームのようなつくりでした。


DSC_0072.JPG
▲名鉄キハ8000系特急「北アルプス」号

名鉄のディーゼル特急「北アルプス」号。国鉄ディーゼル特急のデザインを似せた事で人気がありました。当時は富山まで運転していたんですね。夏の季節延長かもしれません。車両は後にキハ8500系に置き換わり、今では名鉄からの乗り入れは無くなりました。キハ8500系は会津鉄道に譲渡されましたがそれも引退し栃木県の某所で今でも動態で保存されています。

DSC_0069.JPG
▲富山港線

日中、79系旧型国電が走っていた富山港線に乗って岩瀬浜を往復しました。写真は岩瀬浜駅です。富山港線は475系に置き換わり、今では「富山ライトレール」になっているから大変驚いています。先月の撮影で413系の末期色(青)を見て嘆いたが、この79系も末期色ですね(笑)

DSC_0068.JPG
▲ボンネット型特急「北越」

富山駅に戻り特急群の撮影です。いろいろ乗降客が写り込んでいるが当時の活況を感じます。新幹線開業直前の現在ではこの活況はあるのでしょうか?

ボンネットの「北越」です。当時は向町区の485系や489系が北陸本線の特急網をカバーしておりバラエティーさは豊富でした。今、こんなの走ったら劇パ間違いなしですね。


▲485系1500番台「白鳥」

「白鳥」は青森運転所が担当しており1500番台も充当されました。今でも唯一残るクハ481‐1508が北陸本線で活躍する姿が見られる。

DSC_0074.JPG
▲待機する急行「立山」号

夜の富山運転区では上りの急行「立山」号が待機しています。現在、この場所は鉄道用地では無く別の建物が建っていました。

私は上野行き12系急行「越前52号」に乗り込みました。この列車は信越本線経由でしたが土砂崩れの影響で急きょ上越線に迂回となりました。当時の迂回措置は敏速でした。





 
| Yoshihi | 懐鉄 | 18:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
惜別:東上線8000系
東武東上線池袋〜小川町から1月17日で営業用10連を組む8000系が「ファイナルツアー」の臨時列車を持って引退しました。そのツアー列車や10日に運転された3色電車も撮影していますが今回は古いネガから8000系の勇姿を見ながら労をねぎらいたいと思います。

東武8000系は昭和38年から20年間で712両が生産され東上線や伊勢崎線で活躍した東武鉄道を代表する電車である。昭和40年代に東上線沿線である朝霞市で生まれた私は東上線と成長を共にしました。当時の東上線はまだ7300系や7820系など国鉄63系の系譜車両も多く運用されておりましたが8000系は主力として活躍していました。ツートンカラーの東上線も記憶にありますがセイジークリームの印象は非常に大きいです。なぜセイジークリームに変わったかの理由を知ったのは最近で、その真相にショックもありましたがあの色は1番好きだったかもしれません。

自宅や小学校も線路の近くにありいつでも東上線を見ることが出来たので問答無用でファンになりました。当時は複線電化で柵も低く、また無いところもあり沿線どこからでも見れました。今の朝霞付近では複々線となり当時の面影は全くありません。駅周辺も田舎でしたがビルが立ち並ぶ街になるとは想像出来ませんでした。

武蔵野線の乗換駅で乗降客数もトップクラスの朝霞台駅も当時は無く、建設中の駅を何度か見に行った事があります。また小学校に入学していた姉が社会科の宿題で朝霞台駅へ取材しに行くと言うので付いて行った事もありました。

DSC_0043.JPG

この場所は昭和57年頃の朝霞〜和光市でお気に入りでした。今では複々線でコンクリートの高い塀があります。



DSC_0042.JPG

この場所も朝霞〜和光市で上の写真のアウトカーブ側です。撮影場所の土手を朝霞駅方面に行くと陸上自衛隊朝霞駐屯地へ行く引き込み線の跡があり、線路も大部分で残っていました。



DSC_0040.JPG

ここは朝霞台〜朝霞に今も残る踏切です。
気付かれたかと思いますが編成が8連です。今は10連が基本ですが当時は6連や8連を組んでいました。秩父鉄道へ乗り入れる「特急」は6連でした。



DSC_0044.JPG

志木駅に集う8000系4本。当時の志木はターミナル駅の役目があり、今よりも池袋〜志木の電車は多かった。



DSC_0041.JPG

これは日光線を行く現行塗装の8000系。編成は8116Fと読み取れる。



こうやって自分の人生の中に刻まれる8000系。今後も越生線や東上線小川町以北、野田線、亀戸線、800系や850系に改造された仲間と栃木県内の路線での活躍はまだしばらくは見られる。しかし森林公園の4連は20000系を改造して転用することも予想されているようなので今後も8000系からは目が離せません。

東上線8000系、ありがとう、ありがとう、お疲れさまでした。

 
| Yoshihi | 懐鉄 | 18:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
EF8181
昭和60年に開催された「つくば科学万博」に天皇陛下がご視察の際に1号編成を使って原宿〜万博中央まで2度運転されたお召列車の牽引に使用されたのが田端機関区のEF8181でした。
このときEF5861を意識したのか車体に銀の帯を取り巻き「ロイヤルエンジン」としての風格が漂った。

お召運用後も一般運用をこなしたが度々開催されるイベントでは展示や記念列車の先頭に立つEF8181の姿が見られ一躍人気カマとなりました。「北斗星」デビュー後もその牽引に従事し、他のEF81が「星カマ」になるなかロイヤル機の姿で「北斗星」を牽引する姿もファンを魅了しました。

しかし田端のEF81が全機塗装変更されることになり「星カマ」か「赤7号」に塗り替えられた。95号機はレインボー機としてその塗装を維持したが81号機も「星カマ」になってしまった。それでも手すりの磨き出しなど随所に「お召機」の名残を残しました。

ここへ来て、EF8181が「お召」仕様に復元されて一般運用に入っている。すでに「北斗星」の運用は無いが注目されています。塗装変更に際しては秋田に臨時入場しましたが検査等はされず、JR東日本または田端運転所の真意は分かり兼ねるがカウントダウンとも受け取れる。

Image663.jpg

非常に見ずらい画像だが1989年10月1日、矢板で撮影した「北斗星」2号でお召仕様のEF8181が最後の北斗星牽引の運用です。情報をもらい夜通しクルマを出してもらって矢板まで来たが直前でカメラが故障し同行してくれた人のコンパクトカメラで撮影したもので残念な思い出のひとつ。出来るならもう1度「北斗星」の先頭に立つ姿を撮り直したい。

来月の「カシオペアクルーズ」は東北本線経由のためEF510でも問題ないがEF8181が牽引に当たりそうな気もする。「カシクル」といえば来年1月5日〜7日(行程不明)にも運転されると発表されています。

 
| Yoshihi | 懐鉄 | 18:31 | comments(0) | trackbacks(0) |
「あけぼの」しばし別れ
ダイヤ改正で定期運用が終了した「あけぼの」
今回の撮影報告は最終日の9022レですが、これは当日のブログにも記事にしましたので趣向を変えた記事にします。
3月15日、午前5時30分に勤務先の川越市内から北浦和に向かいました。9022レが来る30分以上前に現地に入ります。


▲185系エクスプレス

改正で上野口の185系は651系などに置き換えられ、「踊り子」などの東海道線関連と一部の「あかぎ」のみとなりました。注目されるのは「エクスプレス」塗装をした「OM」編成の動向ですがこの日は「踊り子」の送り込みとして北浦和を通過する姿が見られ、少し安心しましたが尾久などに疎開する編成も見られ余談を許さない状況のようです。


▲(再掲載)9022レ「あけぼの」


▲撮影者の姿も入り込んだが最後の後ろ姿


「あけぼの」定期運用終了で色々な方のブログで回想シーンを振り返っていますがココでも見つかった画像を回想してみましょう。

Image554.jpg
▲昭和57年 上野駅 「あけぼの」2号(右)、4号

上野駅はこの頃、16、17番線の間にスペースがあり17番線に2号、16番線に4号が相次いで到着していた。ちなみに2号が1013号機、4号が1031号機でした。

Image555.jpg
▲推進回送待ちの2号と準備前の4号

Image553.jpg
▲14系座席車の「あけぼの」

「あけぼの」の臨時列車は583系や485系が使われていたが14系座席車を使用した時代もあった。この頃は波動用14系座席車は「つばさ」「はつかり」などのエル特急にも起用されていた。
ちなみにこの画像は東京駅で撮影したもので実は回送列車。当時は営業運転はしていないが「東京・上野ライン」が健在でしたので品川〜尾久のいわゆる「オクシナ回送」が設定されていた。

Image556.jpg
▲1006レ「あけぼの」6号

昭和63年4月17日に北浦和で撮影したもの。登場したての「北斗星」を撮るため待機していたときの「ついで」撮影。記録を見ると167系集約臨やEF5889+「江戸」も撮影している。

Image552.jpg
▲奥羽本線庭坂を行く「あけぼの」4号(4:44)
もっといい位置で切ったコマもありましたが・・・見当たらず

Image547.jpg
▲赤岩の鉄橋を渡る「あけぼの」4号(4:34)

Image548.jpg
▲1001レ「あけぼの」1号

Image551.jpg
▲ED75に付け替えられた「あけぼの」2号

Image550.jpg
▲板谷迂回「あけぼの」
これは奥羽本線福島口が新幹線工事で陸羽東線経由に変更されたあとの「あけぼの」が何らかの工事の関係で福島から奥羽本線を迂回運転されたときに福島駅で撮影したもの。残念ながらEF71にはヘッドマークが無かった。

Image549.jpg
▲402レ「津軽」

当時のEF65の運用は1001レ〜402レで運用されており前日の1001レを見る鉄したら客車側に「津軽」のヘッドマークが取り付けられていたので翌朝、台風が接近していたが大宮駅に撮影に出掛けた。カマはゲッパでは無く1019号機。
このHMのイラストは近年リバイバルする583系「津軽」に使われている。


これで「あけぼの」に関しましてひとつの区切りとしたいと思います。臨時運転時など回想画像が見つかりましたら「あけぼの」号に登場して頂きましょう。
(*回想画像は手抜きスキャン方法のため非常に見難くなっています)



◆臨時「あけぼの」寝台券販売状況(3/29 16:30現在)
上り 4/24〇、4/25〇、4/26△、4/27〇、4/28△、4/29〇
下り 4/25×、4/26×、4/27△、4/28△、4/29〇



 
| Yoshihi | 懐鉄 | 18:30 | comments(2) | trackbacks(0) |
651系甲種輸送

ダイヤ改正で「スーパーひたち」や「フレッシュひたち」から運用を撤退する651系。今後の去就も注目されるが「懐鉄」として651系の甲種輸送の画像をアップします。

先日、友人ブログで川崎重工で落成した651系が兵庫駅で入れ替え中の画像が公開されていたので自分でも探してみると1989年2月5日に武蔵野線北朝霞〜西浦和にて甲種輸送を撮影していました。基本編成+付属編成の11連をEF65505が牽引していました。

Image351.jpg
▲EF65505の牽く651系甲種輸送列車

Image352.jpg
▲機関車のアップ

この日はEF6437の牽く81系和式客車やEF644の牽く12系和式「白樺」も通過し、同じネガには今の5674レ石炭返空列車(最高部にトキ2500連結)や今では見られないホキ2200による穀物輸送、EF81の2軸貨車編成、ワム80000編成なども写っていました。


またJR横浜支社では185系置き換えにE259系で検討を始めたそうで大宮の185系もこの651系に変わるのでないかとの噂も根強くありますね。

ちなみに651系運用初日に上野19時発の「スーパーひたち」に乗車。いわきまで基本編成に乗り終点の相馬まで付属編成に乗り換えて「初乗り」しました。当時、顔見知りの駅員がおりこの列車の指定席を指定1、指定2で1枚の手書き切符にて発行してくれました。

| Yoshihi | 懐鉄 | 19:18 | comments(0) | trackbacks(0) |
30年が経ちました

昭和57年11月15日に上越新幹線の開業と東北新幹線の本格的開業をメインとした全国規模の国鉄ダイヤ改正が行われた。

輸送主体を新幹線に移行するため在来線の特急を中心とした列車網を再構築され、原則的に新幹線と並行する特急は廃止され新幹線主要駅から接続する特急列車網へと変貌しました。

上野口では顕著に現れ、「ひばり」「はつかり」「みちのく」「とき」「はくたか」「北星」など多くの特急が廃止、乗り換えの不便さを懸念した「あいづ」「やまばと」と一部の「つばさ」は上野拠点として残された。
「はつかり」は盛岡〜青森、「つばさ」も福島〜秋田、「いなほ」は新潟〜秋田・青森の連絡特急として生まれ変わり非電化だった田沢湖線を電化し急行「たざわ」を485系のエル特急とした。
また急行も格上げや廃止となり「ゆけむり」や「草津」は新鋭185系の新特急「谷川」「白根」となった。また房総各線の急行群も特急に格上げされた。
高崎線や常磐線でもこの改正まで客車普通列車が運転されており、この改正で電車化された。また浦和駅に普通列車がすべて停車するようになった。

全国規模なのは車両の配置転換。JR化された今では考えられない広域転属が行われた。上野口で大量に余った485系は北陸本線や九州の特急増発用として転配。伯備線電化でキハ181系だった特急「やくも」は381系化されている。

Image289.jpg
▲最終日の12系高崎線普通列車高崎行き

Image290.jpg
▲「ゆうづる」と並ぶ「とき」1号

Image279.jpg
▲多くの鉄道ファンと「ひばり」1号の発車案内

Image280.jpg
▲こちらも多くのカメラを向けられる「はくたか」1号

Image281.jpg
▲上野に乗り入れたキハ58系急行「いいで」

Image282.jpg
▲錦糸町にて房総急行を撮影 これは153系
房総の急行はヘッドマークが付いていたが全てが盗難に遭い最終日はマーク無しだった。

Image284.jpg
▲183系「とき」

Image285.jpg
▲「あいづ」は残されたがボンネットの運用は外れた

Image283.jpg
▲人気が高かった583系「みちのく」

このあと14:49発新潟行き181系特急「とき」21号に指定席で乗って大宮に行きました。

Image286.jpg
▲下り最終「ひばり」25号
実はヘッドマーク廻りに飾り付けがされ「さようなら」「57.11.14」と書いてありました。

Image287.jpg
▲上り最終「ひばり」24号 これも特製HMでした

このあと夜行急行群を撮影して帰宅、翌朝学校前に再び大宮駅へ・・・。

Image288.jpg
▲14日に盛岡を出た最終「北星」

これを撮り帰宅。学校に行き帰宅後、また大宮駅へ行って新しい列車達を撮影しています。


このダイヤ改正は自分にとって最大の改正だと今も思います。目の前の線路を当たり前に走っていた列車たちが1夜で無くなってしまった事で大きなショックを受けました。そのためダイヤ改正とは大きな事という認識でいます。

またこの頃に戻り今の機材や技術、行動力で撮影したいと思っています。絶対に忘れられないダイヤ改正でした。

| Yoshihi | 懐鉄 | 19:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
「やまばと」走る!

リバイバルトレインは多数運転されているが上野口のエル特急として復活していない列車のひとつに「やまばと」があります。板谷峠(奥羽本線)が山形新幹線の工事で標準軌にされるときに復活を望んだが叶わず、あれから20年余り経ちようやく実現する。
既に奥羽線は通れないため仙山線を経由、晩年の「つばさ」と同経路ですが今回は「やまばと」として運転する。
運転日は7月7日土曜日で下りのみの片道運転。485系(仙台車)6連を使用し往年のイラストマークを掲出する。

◇時刻
(回送)尾久8:52→上野8:59
上野9:12→大宮9:37-40→小山10:30-34→宇都宮10:58-11:02→矢板11:31-51→黒磯12:15-26→郡山13:20頃→福島14:26頃→仙台15:40頃着15:55頃発→愛子16:20頃→山形17:14

*斜字は予想時刻

Image188.jpg
▲「やまばと」とヘッドマーク

Image192.jpg
▲1983年頃、夕暮れの北浦和を行く「やまばと」

Image191.jpg
▲昭和60年3月13日、上野駅にて廃止当日の「やまばと」3号

Image190.jpg
▲最終列車にはマークに飾り付けが行われた

Image189.jpg
▲ファン手製の「さよならサボ」も挿されていた(実は自作)

昭和57年の東北新幹線の大宮開業時では乗り換え解消のため廃止は逃れたが夕方に2本、上り1本の体制で運転されていた。60年の上野開業時に「つばさ」に統合されついに廃止された。最終日には「やまばと3号」に指定席で上野〜大宮間に乗車し別れを惜しみました。

ちなみのこの改正では「新幹線リレー号」「白根」「信州」「なすの」「奥久慈」「まつしま」「つくばね」「ときわ」「佐渡」「あずま」「天の川」などが廃止されている。

| Yoshihi | 懐鉄 | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) |
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 
<< June 2017 >>
+ SPONSORED LINKS
+ SELECTED ENTRIES
+ RECENT COMMENTS
+ RECENT TRACKBACK
+ CATEGORIES
+ ARCHIVES
+ ブログパーツ
+ リアル電力使用量
+ URAWA REDS chronicle
+ Yoshihi1969-youtube
+ さいたま市けんて〜
+ MOBILE
qrcode
+ LINKS
+ PROFILE