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埼玉県



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鈴木文吾氏
埼玉県の川口市は「鋳物の町」として栄え映画「キューポラのある町」でも有名となった。今でも鋳造工場が大小たくさんあり、かつての賑わいまでは行かなくても脈々と受け継がれています。

そんな鋳物の町で長老とも神様とも言われた「鈴木文吾」さんが亡くなられました。実はこの方、1964年の東京オリンピックのとき東京・国立競技場の聖火台を鋳造した方で今でも定期的に聖火台を磨きに来ていました。

サッカー(陸上)を楽しむ者として国立は特別なところ。そこの聖火台はまさに聖なるもの。なおかつそれを製造したのが埼玉県の工場で県民の方が作った事は私にとっても誇り高きものでした。

鈴木文吾さんのご冥福を心からお祈り致します。
東京五輪の聖火台製作 鈴木文吾さん死去 「我が娘」を磨き続け
東京五輪(1964年)で使われた聖火台を製作した川口市の鋳物師・鈴木文吾さんが86歳で亡くなった。五輪の開会式があった10月10日前後になると、毎年、会場だった東京・代々木の国立競技場を訪れ、聖火台を磨いていた。

 40年来の友人、さいたま市浦和区の平出真治さん(71)は2007年10月15日、一緒に聖火台を磨いた。濃紺の法被を着た文吾さんは「父の墓参りのようでもあり、自分の娘に会いに来たようでもある」と目を細め、手ぬぐいにごま油を染み込ませ、黒い鋳物の聖火台をいとおしそうに磨いていたという。

 平出さんによると、聖火台は高さ2・1メートル、重さ2・6トン。神社や仏閣の釣り鐘などを手がけていた文吾さんの父、萬之助さんの元に「東京オリンピックの招致を狙って開催されたアジア競技大会(1958年)に合わせ、聖火台を製作してほしい」と依頼が舞い込んだ。しかし、萬之助さんは製作の途中で死亡。文吾さんは葬儀にも参列せず、兄らの力を借りて完成させた。聖火台には、父の名前を略した「鈴萬」という印しか刻まれていない。

 平出さんが今年5月初めに会った際は「今年は北京五輪があるから、7月下旬か8月上旬に聖火台に行く」と元気そうに話していたという。

 文吾さんの後を継ぐ長男、常夫さん(60)は「体の調子が悪くて競技場に行けない年もあったが、聖火台を『かわいい』と言って、毎年磨きに行くのを楽しみにしていた」と悲しみをこらえながら語った。

(2008年7月8日 読売新聞)
コメント
from: 平出眞治   2013/09/10 4:49 PM
鈴木文吾さんが亡くなって4年が経つ。聖火台政策途上で、湯入れに失敗したショックで他界した父親の死を乗り越えて精魂込めて制作した国立競技場の聖火台は、半世紀以上経った今でも全然傷んでいない。それは、文吾さんが父親の墓参りのつもりで、また、かわいいわが子に会うためにとの思いを込めて聖火台を磨き続けたからだ。文吾さん亡き後、この聖火台製作秘話に感動したと、毎年、ハンマー投げ金メダリストの室伏広治さんが磨きに来てくれる。室伏さんはオリンピック・パラリンピック東京招致に大変尽力された。2020年東京招致の成功は、室伏さんの尽力のおかげといっても過言ではない。もちろん日本全国の皆さんの後押しがあったからこそでもある。
聖火台磨きに関わっていただいた、ミズノさんと、室伏広治さんに、改めて「ありがとうございます」とお礼を申し上げます。  HIraide
from: 平出眞治   2013/09/29 11:18 PM
誤字の訂正のお願い
1行目の、政策途上で・・・とあるを、制作途上で・・・と訂正してください。
from: 平出眞治   2014/02/18 6:28 PM
東京霞が丘国立競技場の改修工事に伴い、あの聖火台が国立競技場の庭の一角に残されるというニュースを聞いて、制作者の鈴木文吾さんと、文吾さん亡き後はミズノの室伏広治さんらと聖火台をゴマ油で磨き続けてきた私にとって、こんな嬉しいことはありません。あの聖火台を2020年の東京オリンピック・パラリンピックでもう一度使っていただけたなら、もっと嬉しいのですが・・・・。  Hiraide
from: Yoshihi   2014/02/19 6:00 PM
平出眞治様、コメントありがとうございます。平出様のような方からのコメント恐れ入ります。

聖火台が残されるようですね。サッカーの試合で聖火台に灯が入っていると国立競技場の神聖さが際立ちます。

願わくば、大幅な改修ではなく今のようなカタチで何とか国立を残せないものでありましょうか・・・。
from: 平出眞治   2014/03/12 10:10 PM
 貴殿のように国立競技場と聖火台に思い入れがある方がおられることをうれしく思います。室伏広治さんも、あの聖火台はレガシー(遺産)だから、2020年の東京オリンピック・パラリンピックでも使ってほしいと、かねてよりおっしゃってくれました。今年も、あの聖火台を磨きに行く予定です。ピカピカに、きれいに磨き上げて、美しい姿で、国立競技場の最上段のあの場所から、新しい「すみか」に送り出そうと思っています。
 三峯神社からの依頼で、同神社の発行する社報『みつミ弥山』に、次の一文を寄稿しました。「三峯神社の天水鉢を造った現代の名工・鈴木文吾さん」と題して、鈴木文吾さんのこと、国立競技場の聖火台のこと、室伏広治さんのことなど、3ページにわたり、写真入りで掲載予定です。4月中旬に発行される予定です、機会がありましたらご一読ください。 Shinji
from: 江口郁三   2019/08/25 9:10 AM
1964年の東京オリンピックの国立競技場の聖火台は、川口市の鈴木鋳造さんが製作したと聞いています。
1964年のオリンピックのボート競技が行われた戸田市のボートコースにも、鈴木鋳造さんが製作した、聖火台が今もあります。
from: Yoshihi   2019/08/25 7:36 PM
江口郁三様、コメントありがとうございます。

今朝、日本テレビ系の「24時間テレビ」の中で聖火台についての放送がありました。その番組を見ながらこの記事を読み直していたところに江口郁三様からのコメントを頂き偶然のような運命的な出来事と驚いています。

ボートコースにも聖火台があるのですね。機会があれば見に行きたいと思います。
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